素性法師(そせいほうし)
秋風の 身に寒ければ つれもなき人をぞたのむ くるる夜ごとに
《 秋風はもう、身にしみて寒いので、いくらツレない対応のあの子でも僕の事を受け入れてくれるかもしれないと、毎晩、淡い希望を抱いている。》
この歌を詠んでいるのは、素性法師(男性)で、和歌には男性が女性目線で読む歌もあるのですが、この歌は素直に男性が女性に対しての気持ちを歌った和歌として読んでみます。
通い婚の平安時代には、女性から男性を尋ねることはまずないので、恋の和歌では『男性を待つ』歌も多いのですが、待つ側があれば会いに行く側の歌も当然あって、この歌はその一つです。
身に沁みる寒さでは人肌恋しくなって、僕を受け入れてくれるかな。という期待と
寒い夜道を、会いに出向く僕のご足労に心動いてくれるだろうか。という2つの期待が読み取れますね。
愛に行く側の歌には、いくつかの共通点もありますので、またどこかでご紹介していこうと思います。
では!