雨1つどう捉える 和歌

雨

そろそろ梅雨に入りますね。

雨が続く日々は、やはり少し億劫になりがちですが、これは平安時代の貴族の間でも同じ事だったようです。

雨に関する和歌は、涙や悲しい気持ちを表現するのに使われています。

しかしながら法華経の教えを和歌として詠み、世に起きる物事を雨に例えた、こんな和歌を詠われています。

という事で本日ご紹介する和歌はこちら。

千載和歌集から

僧都源信 

「法華経の心を詠む」

大空の 雨はわきても そそがねど うるふ草木は おのがしなじな

大空からの雨は分け隔てなく降るけれど、雨に濡れる草木は様々に受け止めている

仏の恵みは人を分け隔てなく降り注ぐけれど、それをどう捉えるかは人それぞれである。という教えを説いている釈教歌です。

作者の源信は平安中期の天台宗の僧で、浄土教の基礎を築いた『往生要集』を編んだ方です。

苦しい状況、辛い状況でも、それは角度を変えれば、今、私は成長しているんだ!

胸の痛みは成長痛なんだ!と考えると、問題をクリアした後の成長した自分に出会える事が楽しみになってきますね。

雨に打たれて泣いても、タダでは起きない精神力と、発想の転換がより、私たちを生きやすくしてくれる教えなんですね。

という事で、本日はここまで。